平成28年4月14日に発生した、平成28年熊本地震。
私の熊本の友人たちも多く被災してしまいました。
私自身は福岡にいたため、何もなかったのですが、友人からの連絡で、
公園に避難していること。
翌々日は雨が予想され、雨具などもなく不安であること。
多くの被災者が食糧などの配給がなく、困っている事。
などを知りました。
平成7年と言えば、私がまだ高校1年生だった頃です。
その1月17日の明け方、ゴゴゴゴゴ・・・と、地震が来ました。
元来、九州地方に比べると地震の多い地域でしたので、多少の地震には慣れています。
小学校の頃から、頻繁に地震の避難訓練も行っておりましたし、実際に小学校の放課後、何人かで居残りで勉強をさせられていた時に地震が来て、みんなで机の下に潜ったと言ったこともありました。
地震といえば、いつもは遠くからゴゴゴゴゴ・・・と地響きが聞こえ始め、それが次第に近付き、ガタガタガタガタと揺れが始まり、揺れが収まり始めると同時に地響きが遠くへ去っていくと言った感じでしたが、その日は違いました。
阪神淡路大震災の時、私たち家族は5階建てのマンションの3階に住んでいました。
あの日、ベッドで寝ていると、ゴゴゴゴゴ・・・と地響きが聞こえました。
明け方だったこともあり
(また地震か・・・
早く過ぎ去らんかな。明日学校やし過ぎたらまた寝よ)
と思い、一応何があるかわからないので布団を頭からかぶり、揺れに備えました。
ゴゴゴゴゴという音がだんだん近付き、次第にガキガキガキとけたたましい音が聞こえました。
いつもと違う音に、ん?と思ったその瞬間、ガガガガガガ・・・と恐ろしいくらいの揺れが襲い、ベッドの柵に掴まり
「うわぁーーーーー!!」
と叫ぶ事しか出来ませんでした。
ようやく揺れが収まると、あたりは真っ暗で何も見えません。
電気をつけようと思いましたが、停電をしていました。
街中が停電しているのか、真っ暗でほとんど見えない状態でした。
別の部屋から、家族が私の名前を必死で呼んでいるのが聞こえ、私も必死で、お父さん、お母さんと呼びました。
「あんた無事か?」
「無事やで!!そっちは大丈夫か?」
「全員無事や!」
「とりあえず家具が倒れているけど、何とかそっちに行けそうや、ちょっとまっとって」
そして崩れた家具を乗り越えたりかき分けたりして、部屋を出て、父と母と妹がいる部屋に行きました。
幸いなことに、我が家では地震の前に祖母が亡くなっており、その祖母の部屋にタンスなどの大型の家具を移していたため、誰ひとりタンスの下敷きになることもなく、我が家では全員が無事でした。
ベランダに出てみると、ガス管が破れているのか、ガスの臭いがあたりに漂っていました。
そして、遠くの方で火の手が上がり、消防車のサイレンが一斉に鳴り響きました。
「あの火がこっちまで来たら、私たちもここで終わりやな」
と、母がつぶやきました。
幸い、火の手はこちらまでは来ず、そのまま朝を迎えました。
私たち一家が住んでいたマンションは見晴らしが良い方ではなく、普段なら周りの家の屋根などで遠くまで見えるはずもない環境でした。
遠くに火の手が見えた時、特に遠くが見えるのが不思議だとは思っていませんでした。
と言うより、あたり一面に充満するガス臭と、遠くの火の手を見て、ここで家族・近所の人も終わるかもしれないと感じていたので、遠くまで見える理由を深く考えていませんでした。
しかし日が昇ってから、遠くまで見えた理由が分かり、驚きました。
なんと周りの家が全部崩れていたのです。
そして、その崩れた家の一つには、知り合いが住んでいました。
知り合いの家も崩れているのがわかった時、母が急いでその家に安否確認に行きましたが、幸いその一家も無事でした。
その方は、1階で寝ていたところ地震が来て、2階部分が崩れ落ちて来たそうですが、運良く横にあったソファーが、崩れ落ちて来た2階部分を支えてくれたため、潰されずに済んだとの事でした。
阪神淡路大震災のことは、私個人の記憶のことだ言う事もありますし、あまり思い出したくない事でもありますので、ここらへんにしたいと思います。
が、その震災のときに、見ず知らずの方々から助けていただいた記憶がありますので、いつか自分の近辺で大震災があったなら、手助けをしようと思っていました。
そうしたら熊本県であの地震が来てしまいました。
熊本県は友人の多いところですので、本当に驚きました。
また、続いて大分県でも地震が発生しました。
友人に安否を聞いたところ、避難所にいる事を知り、また日曜日は雨が予想されているため、雨が降ったらどうしようかと不安に思っていると言う事を知りました。
水や食糧などが無いと言う事を知り、早速福岡市内で物資を買い集めました。
そんなわけで、市内でかき集めた水などの物資を車に積み込み、急いで熊本へ向かいました。
お店を閉めてから行ったので、出発が遅くなったのですが、それが逆に良かったようで、救援車両や緊急車両の妨げにもならず、また、佐賀経由で玉名を抜けていったこともあり渋滞に巻き込まれることもありませんでした。
一回目は保存食や飲料水、生活用水を中心に、二回目は、現地で不足しているガソリンを中心に持って行きました。
向かっている途中、地震発生走行注意や落石注意の看板も多く、少し怖かったです。
地震で地盤が緩んでいる所に、雨が降ると、土砂災害の危険が高まると、しきりにテレビやラジオが伝えておりますし。
そう言えば、阪神淡路大震災の時は、雨のせいではないが、地滑りがあり、沢山の家屋が流されたなと思い出しました。
ちょうど、高校の生物の担当の先生が住んでいる地区で、
「ザーーーーーッっという音と共に、土砂が流れてきた」
と、先生がおっしゃられていました。
幸いその土砂は、先生の家の少し前で止まったようで、先生は無事でした。
そんな事を考えながら、友人と共に熊本へ入りました。
届けたい先がいくつかあり、一軒一軒に少しずつしか物資を置いていけませんでした。
現地入りしたのが夜遅かったので、たまたま起きてた友人には声をかけて。
寝ておられる方へは、起こさないように静かに物資を置いて行きました。
二回目に物資を積んで出発する前、福岡市内のスーパーやホームセンター、コンビニを回りましたが、どこも水が売り切れで、調達するのが困難でした。
さらに、春日市・那珂川町と探して回りましたが、やはりありません。
福岡県内では難しいかもしれないと思い、佐賀の友人に探してもらいましたが、佐賀でもやはり売り切れが続出だったようです。
結局、福岡と佐賀を5時間回って水や食料を買いました。
これらを積んで二回目の輸送に行きました。
熊本の友人宅に行くと、
「近所の小学校にたくさんの人が避難していて、そこでは飲料水・生活用水共に不足している」
と言ってました。
自分たちもあまり水がないし、次いつ入るかわからないのに、
「うちは少しで良いから。
他の分は小学校に持っていこう」
と言って、小学校に持って行きました。
いくつかの物資を届けたとは言え、現地ではまだまだ物資が足りていない様です。
まだ、熊本へは物資を持って行くつもりにはしていますので、熊本に物資を届けて欲しいと言う方は、どうぞカギの救助隊福岡南本店までお持ちください。
一緒に持っていきます。
私たちが購入した分だけではまだまだ足りそうにありませんので、ご協力頂ければ幸いです。
※追記
皆様のおかげで、沢山の物資が福岡南本店に集まってきています。
ありがとうございます。
お預かりした物資は、責任をもって被災地へお届けいたします。
※追記2
お陰様で、被災地の方では随分と物資が足りてきているようです。
そのため、現在は物資のお預かりは一旦中止させて頂いております。
ありがとうございます。