このページは現在作成中です。
文章その他が
途切れ途切れだったりしますがご了承ください。
このほど、これまで個人事業として10年営業を続けてきたカギの救助隊福岡を法人化し、新たに株式会社杷奈(はな)としてスタート致しました。
なぜ、10年続けてきた個人商店を法人化したのかと言えば、やはりお客様へもっと安心をお届けしたいからというのが一番の理由です。
10年経営を続けてきて、有難いことに顧客も増えてきました。
しかし、10年続けてきたからと言ってもやはり、顧客の皆様の立場から見るならば、個人事業主が相手だと、不安な面もあるのではないか、顧客の皆様が安心して頂けるようになるには、法人化した方が良いのではないかと考えました。
また、法人化すれば、これまでより仕入れや道具の購入の面で有利になるので、その分をお客様へ還元する事が出来ると言った理由もあり、このほど、法人化させて頂きました。
このページでは、個人商店を始めた頃から、現在の株式会社杷奈設立までについて、会社概要のページで載せた私個人の略歴よりも、より詳しくプロフィールをお伝えしようかと思います。
その前に、社名の杷奈の由来についてと、僕の職業観を作って下さった、一人のお客様との出会いについてお話させて頂きます。
杷(は)は、地面をならしたり、穀物をかき集める農具をあらわします。
奈(な)は、豊麗・優雅と言う花言葉を持つ、からなし(唐梨=かりん)をあらわします。
以上のことから、お客様へ安心と笑顔をお届けする正しい経営を日々行い、しっかりと地面をならし、その上に全てのスタッフが、それぞれの花を咲かせて、実りを集め、縁ある全ての皆様と共に、美しく豊かになっていける、そんな会社を作ろうと言う想いを込めて、杷奈と言う社名にしました。
私たち株式会社杷奈の企業理念は、お客様へ安心と笑顔をお届けすることです。
職業人として、頂いたお仕事に責任を持って真剣に取り組むことはもちろん、プラスアルファお客様が安心して笑顔になって頂けるよう、真心を持って接客をすることを心掛けています。
このような企業理念が出来た背景には、創業者である、僕の職業観にあります。
それでは、僕のその職業観を作って下さったあるお客様との出会いについてお話させて頂きます。
それは、僕がまだ22~23歳くらいの事です。
先のページで焼鳥屋に就職し、店を一軒任せて頂くようになったと書きましたが、これは、まだ会社からお店を任せて頂く前のお話です。
働かせていただいていた焼鳥屋には、カウンターそばの焼き台で焼鳥を焼く焼場、まな板のある板場、揚げ物を作る揚場、食器を洗う洗い場がありました。
その中でも、お客様から一番目に付くカウンターのそばにある焼場は、花型のポジションでした。
焼場に立つ人間は、どんなに忙しくても、美味しい焼鳥を焼きながらも、カウンターにお座りになるお客様に楽しんで頂く接客をし、さらにはホールの状況を常に確認し、ホール担当への指示、また状況によっては揚場や板場の人間をホールに回し、焼場をしながらそのポジションの料理のサポートが出来る人間でなければなりませんでした。
僕は早く一人前になって、焼場に立ちたい一心で、一生懸命仕事をしていました。
その甲斐あってか、入社当初洗い場からスタートした僕も、そのころには焼場を任せて貰えるようになっていました。
ところでそのお店には、週3~4日ご来店下さる、自分より少し年上で、27歳の男性の常連さんがいました。
いつも一人で来店され、カウンターにお座りになられるのですが、その日は珍しく、その常連さんが、同じ年のころの男性一名と女性一名のお連れさんを連れて来店されました。
女性の方は、骨と皮と言う表現が当てはまるようくらいひどく瘦せておらた方でした。
その日は三人でのご来店だったので、その日はカウンターではなく、(焼場から見ると)カウンターの奥にある、四人掛けの掘りごたつの席にご案内しました。
その日は忙しく、お料理のオーダーがたくさん来ていたこともあったし、掘りごたつの席は焼場から離れていたこともあるし、また他のお連れさんと楽しそうにお話をされていたので、席にご案内した後は、その常連さんとお話をしませんでした。
とにかく次々にやって来るお料理のオーダーを一生懸命作っていました。
翌日、その常連さんが今度はいつもの通り、一人で来店しカウンターへお座りになられました。
昨日はあんなに楽しそうだったのに、今日は少し浮かない顔をしておられました。
「昨日はどうもありがとうございました。」
とお声掛けすると、
「高橋君、ちょっと聞いてくれる。昨日連れて来た女の人おるやろ。
実はあの子、あの後亡くなっちゃったんだ」
とおっしゃられました。
聞くところによると、重い病気を患っておられ、長い間病院で闘病生活をされていたとのことでした。
本人の希望で、最後に病院の外に出たいとの事で、医師に頼み込んで、昨夜は外出したとの事でした。
そして、その常連さんがいつも来る、この店にお連れになられたとの事でした。
その時僕は、
(昨日忙しかったからあまり気が回らなかったな。
あのお客様には満足して頂けたのだろうか。自信はないな。もっと気が回っていたら・・・)
と深く考えました。
「そうでしたか。僕はちゃんと料理を出せていたのかどうか、正直自信はありません」
と言うと、
「いや、あの子は昨日、美味しかったと何度も言って、喜んでたよ」
とおっしゃって下さりました。
その後でお亡くなりになったそうです。
あの日僕は図らずも、その女性のお客様の、人生最後のご飯を提供したことになります。
今も、もちろんこれから先も、その人の人生最後のと言った状況に出会うことはないかもしれません。
しかし、これから先何があっても、あの時ああしていればと、後悔をするような仕事だけはしないよう、全力で仕事に取り組もうと思いました。
そんな経験から、私自身の職業観と、株式会社杷奈の企業理念が生まれました。
それではここから、個人商店であるカギの救助隊福岡を開業して、法人化するまでの事を書いていこうと思います。
要約しますと、会社概要のページの略歴の所で書いた通り、働いていた飲食店が倒産した後、バイクのレーサーとなり、引退後にロードサービスのお店の経営を経て、カギの救助隊福岡を開業し、法人化しました。
ですが、カギの救助隊福岡を開業するに至る前の段階が色々とありましたので、多分長くなると思いますが、ご興味がございましたらお読みください。
会社概要のページ内の略歴で書かせて頂いた通り、もともと僕は、バイクで一人旅の途中で立ち寄った九州に魅力を感じて、移住して来ました。
九州には美味しい食材が多く、料理好きの僕は、移住した後は飲食店に勤めました。
会社は現代で言うブラック企業でしたが、縁もゆかりもない状態で九州にやって来た若者の僕を育ててくれた会社が大好きでした。
お店では先の方で書かせて頂いた、自分の職業観を作って下さったお客様の出会いがあった事もありますし、二十代前半だったにも関わらず会社が僕にお店を任せてくれるようになり、そのお店をグループ内で売り上げが一番のお店に出来たりしましたし、その後はすぐさまマネージャーに昇進させてくださったりして、日々自分の成長を感じられて、仕事が本当に楽しかったです。
ずっと勤めるつもりでしたが、その会社は飲食以外にも色々と経営をしていたのですが、そちらの方の業績が悪化し、その影響で倒産してしまいました。
勤めていた会社がある日突然倒産し、これからどうしようかなと思っていたのですが、最初は縁もゆかりもなかった自分ではありますが、バイクが好きだった事もあり、この頃には九州にたくさんのバイク関係の友人が出来ていました。
その事が縁となり、今度は子供の頃からやりたかった、バイクのレースをするようになり、スーパーモトと言うバイクのレースに参戦しました。
レースには地方選手権しか出れないB級ライセンスと、全日本選手権に出場できるA級ライセンスがあり、まずはB級ライセンスからのスタートでした。
レースを始めて五年後の2009年、中国四国地方選手権にて、B級でチャンピオンを獲得し、全日本選手権への出場資格である、A級ライセンスに昇格しました。
実はその年は並行して、九州地方選手権にも参戦していたのですが、こちらの方は、中国四国地方選手権と日程が被っているレースが一戦あり、九州よりもレベルの高い中国四国選手権を優先したため、九州は一戦欠場と言う形になってしまい、チャンピオンになれず、年間二位になってしまいました。
良い成績を収められたのは自分の力だけでなく、周りの方々の助けによるものですが。
当時僕には、オイルメーカー様が一社、サポート企業として付いていて下さいました。
こうしてそのオイルメーカー様や、いつもメカニックとして手伝ってくれる友人たち、応援して下さるファンの方のおかげで、中国四国地方選手権でチャンピオン、九州地方選手権で年間二位と言う良い成績を残し、翌年から晴れて全日本選手権にステップアップしたわけですが、僕はもともと、全日本まで昇格出来たら、そこをひとつの区切りとして引退し、次は子供の頃からやりたかった自営業にチャレンジしようと思っていたので、全日本選手権を数戦走った後、引退しました。
それ以外に引退を決めたのは、それまで怪我に泣かされることが多かったせいもあります。
骨は10本以上折りました。
その中には、医師からもう右手は一生動かないかもしれないと言われるほどの大怪我もありました。
その時は三年間リハビリを続け、ほとんど動かなかった右手が7割くらいまで機能が回復し、何とかバイクに乗れるようになったので、ようやくレースに復帰出来たのでした。
実は中国四国選手権でB級チャンピオンを獲得した年も、シーズン開幕してすぐに、練習中の転倒により、右手首の骨を折っています。
三年間を棒に振ってしまった後のチャレンジで、今年こそは中国四国選手権でB級チャンピオンを必ず獲得しようと強い思いでシーズンに臨んでた時だったので、骨が折れた瞬間絶望しました。
ただ、幸いなことに折れても比較的大丈夫な部分でしたので、医師からは手術を勧められましたが、手術をするとしばらくは右手首の動きが悪くなり、アクセルワークが繊細にできなくなる恐れがあったため、医師と相談し、シーズン中は骨が折れたまま走るので、手術はシーズンが終わからと言う事にしてもらいました。
そのため、第二戦から数戦は、右手首が折れたまま、痛みをこらえながらレースを戦わねばならなくなりましたが、そのおかげで、なんとかチャンピオンを獲得し、晴れて全日本へデビュー出来たのです。
このように、自分が予想していたよりも大変な思いをして、ようやく全日本へ行けた事もあり、全日本に昇格した時点で満足をしてしまいました。
これから全日本で頑張りたいと言う思いより、ここでひと区切りして、次のステージでチャレンジをしていきたいと言う思いが強くなってしまいました。
怪我をして痛みをこらえて走ることが多く、本当に辛かったからと言うのもありましたが。
こうして僕は、引退を決意したのでした。
先ほど書いた通り、レースに参戦していた時、オイルメーカーが一社、僕のレース活動をサポートをして下さっていました。
しかし、それだけではレース資金は賄えないため、ロードサービスの会社に勤めていました。
ロードサービスとは何かというと、レッカー車などで、路上で故障した自動車の救援や、インロックした車の鍵開けなどを行う仕事です。
その関係で、レース引退後は、自動車の修理と鍵に関する知識を得ていたので、個人事業主として、ロードサービスの仕事を始めました。
当初は故障した車の救援が多かったのですが、途中から不動産業の顧客が増えてきたこともあり、住宅の鍵の仕事が増えて参りました。
そこで、住宅の鍵の仕事に専念することにし、カギの救助隊福岡を創業する事にしました。
「自分の仕事は、不安を抱えておられるお客様へ安心をお届けする事だ。ただ現場をこなすだけではなく、笑顔をお届け出来る仕事をしよう」との思いがあったので、料金も明示して営業する事にしました。
飲食店時代に、職業観を作って下さったお客様との出会いがあったこともあり、「お客様へ安心と笑顔をお届けすること」を常に胸に抱き、手を抜くことなく、頂いたお仕事を職人として一生懸命行ないました。
具体的には、一般のお客様へは、せっかくお取替えいただいた新しい鍵を末永く快適に使っていただくために鍵交換の際に、ドア周りの調整・メンテナンスをサービスで行なったり、
直接現場を見に来れない不動産業者様や、アパートマンション経営をされているお客様へは、将来ご入居される方からクレームが起こりそうな箇所を診断し、クレームを未然に防ぐための施策をサービスで行ない、電話にて修繕箇所や、将来不具合が起こりえるリスクについて報告するようにしていました。
こうやって一生懸命仕事していると、有難いことにお客様が僕の人柄を買ってくれるようになり、業者様がさらに別の業者様や、アパートマンション経営をされているオーナー様をご紹介下さるようになりました。
こうして、毎年少しずつ顧客の数が増えて行き、十数年経営を続けた結果、本当にありがたいことですが、今では安定して営業をさせて頂けるようになりました。
近年では、顧客の皆様が、私どもを信頼してくださり、鍵交換だけではなく、賃貸物件の入退去に関する色々なことをご依頼下さるようになりました。
例えば、入居前のルームクリーニングやエアコン洗浄、アパートのゴミ置き場へドアの設置、駐車場の草刈りや貸家の庭の木の剪定、マンションの駐輪場への門扉の設置、工場の入口への虫よけのカーテンの設置、駐車場の白線引きなどなど・・・
かなり多岐にわたるようになりました。
またそれにともなって、
(僕たちがこれを出来るようになったら、あのお客様が困っているあのことについて、解決できるのになぁ)
などと、顧客の皆様のお役に、もっともっと立てるよう、色々とやりたいことがたくさん出てきました。
多岐にわたるようになったお客様のご要望にお応えし、またその先のためにやりたいことが出来るようになるためには、個人商店のままでは限界があると感じ、
またカギの救助隊福岡へかかわって下さるスタッフのみんなにとって、もっとより良い経営をするために、コロナ禍の真っただ中ではありますが、法人化し、株式会社杷奈を設立しました。
少し長くなってしまいましたが、ここで個人事業から株式会社設立までの説明を終えたいと思います。
まだまだ株式会社として始まったばかり。
不安はたくさんありますが、顧客の皆様、スタッフのみんなにとってより良い会社にするために精進してまいりますので、応援よろしくお願いいたします。