運営会社株式会社杷奈の紹介

株式会社杷奈のロゴマーク

個人商店であったカギの救助隊福岡は、この度法人化し、株式会社杷奈(はな)として生まれ変わりました。

 

ここでは、個人商店から、株式会社杷奈設立までについてお伝えします。

株式会社杷奈の社名の由来

杷(は)は、地面をならしたり、穀物をかき集める農具をあらわします。
奈(な)は、豊麗・優雅と言う花言葉を持つ、からなし(唐梨=かりん)をあらわします。

以上のことから、お客様へ安心と笑顔をお届けする正しい経営を日々行い、しっかりと地面をならし、その上に全てのスタッフが、それぞれの花を咲かせて、実りを集め、縁ある全ての皆様と共に、美しく豊かになっていける、そんな会社を作ろうと言う想いを込めて、杷奈と言う社名にしました。

個人事業主から株式会社杷奈の設立まで

株式会社杷奈

設立:令和二年8月7日

業務内容:鍵交換、セキュリティ機器の取付、賃貸物件の入退去にともなう室内清掃・エアコンクリーニング・内装工事

、貸家の草刈・枝の剪定など

 

代表取締役 高橋 大(たかはし ひろし)

昭和53年10月19日生まれ

 

わたくし、高橋の略歴は、当カギの救助隊福岡のホームページ内の会社概要のページにてご紹介致しましたので、合わせてご覧頂ければと思いますが、ここでは、カギの救助隊福岡と言う個人事業から、株式会社杷奈設立までに至るながれを、スペースの関係で、会社概要のページで書けなかった事の補足を交えながら書いていこうと思います。


オートバイのアマチュアレーサーだった僕には、オイルメーカーが一社、サポート企業として付いてくれていました。

全日本選手権昇格前の、一地方選を戦う選手に、サポート企業が付いてくれたのは大変ありがたい事ではありますが、やはりそれだけでは、レース資金を賄う事は出来ませんでした。

そこでレース資金の調達のため、ロードサービスの会社で勤めていました。

僕は、自営業を営んでいる父親の背中を見て、子供の頃から、将来は自営業をしたいと思っていました。

 

そこで、ロードサービスの会社で、鍵に関する知識を得ていた事もありましたので、レース引退を機会に、自営業を始めることになりました。

レースの方について少し説明しておきますと、僕は、スーパーモトと言うレースに参戦していて、2009年、中国四国地方選手権にて、B級チャンピオンを獲得しました。


その年は並行して、九州地方選手権にも参戦していたのですが、こちらの方は、中国四国地方選手権と日程が被っているレースが一戦あり、当時は中国四国地方選手権の方がレベルが高かったので、自分のレベルアップの為、九州よりも、中国四国へ出場することを優先したため、九州は一戦欠場と言う形になり、チャンピオンにはなれず、年間二位に留まりました。

 

ところでその頃の選手権は、レギュレーションで、各地方のB級ライセンス保持者のうち、年間上位3名だけが、全日本選手権への出場資格である、A級ライセンスに昇格出来る仕組みでした。
僕は、中国四国地方選手権で年間一位、九州地方選手権で年間二位でしたので、どちらの地方でもA級ライセンスへ昇格する権利を獲得しました。

レーサーの引退を決意

僕はもともと、全日本まで昇格出来たら、そこをひとつの区切りとして引退し、次は子供の頃からやりたかった自営業にチャレンジしようと思っていたので、全日本選手権を数戦走って引退しました。

 もちろん引退を決めたのは、それ以外にも怪我に泣かされることが多かったせいもあります。

骨はこれまでに10本以上も折りました。

 

余談ですが、上記の中国四国選手権でB級チャンピオンを獲得した年も、骨を折っています。

開幕してすぐ、第二戦を目前に控えた練習中に転倒し、右手首を骨折しました。

監督から、中国四国選手権にてB級チャンピオンに必ずなることと言われていたため、折れた瞬間に、今シーズンは終わったと絶望しました。

 

ただ、幸いなことに折れても比較的大丈夫な部分でしたので、医師からは手術を勧められましたが、手術をするとしばらくは右手首の動きが悪くなり、アクセルワークが繊細にできなくなる恐れがあったため、医師と相談し、しばらくは折れたまま走るので、手術はシーズンが終わってからと言う事にしてもらいました。

 

そのため、第二戦から数戦は、右手首が折れたまま、痛みをこらえてレースを走ることとなりましたが、そのおかげで、なんとかチャンピオンを獲得し、晴れて全日本へデビューしました。

(ちなみにその骨ですが、くっつきかけた時に再び転倒し、また折れてしまったのですが、手術せずとも、なんとかシーズンン後半には自然にくっついてくれました)

自分が予想していたよりも大変な思いをして、ようやく全日本へ行けた事もあり、全日本に昇格した時点で満足をしてしまい、これから全日本で頑張りたいと言う思いより、ここでひと区切りして、次のステージでチャレンジをしていきたいと言う思いが強くなってしまいました。

引退後は、勤めていたロードサービスの会社で、ロードサービスと鍵に関する知識を得ていたので、会社を辞め、ロードサービス兼、鍵屋を始めることにしました。

最初の頃は、事故車や故障車の搬送や、故障車の現場復旧、インロックした車の鍵開けなど、車関係の仕事が多かったのですが、不動産業者様などの顧客が増え、住宅の鍵交換の仕事が増えてきたので、ロードサービスはやめて、鍵の仕事に専念することにしました。

カギの救助隊福岡創業へ

そこで、カギの救助隊福岡を創業する事にしました。
「自分の仕事は、不安を抱えておられるお客様へ安心をお届けする事だ。ただ現場をこなすだけではなく、笑顔をお届け出来る仕事をしよう」と思い、料金も明示して営業する事にしました。

そして、「お客様へ安心と笑顔をお届けすること」を常に胸に抱き、職人として、手を抜くことなく頂いたお仕事を一生懸命行ないました。

 

一般のお客様へ鍵交換の際にドア周りの調整・メンテナンスをすることはもちろんですが、直接現場を見に来れない不動産業者様や、アパートマンション経営をされているお客様へは、将来ご入居される方からクレームが起こりそうな箇所を診断し、クレームを未然に防ぐため、サービスで調整を行ない、電話にて修繕箇所や、将来不具合が起こりえるリスクについて報告するようにしていました。

 

一生懸命仕事していると、お客様が僕の人柄を買ってくれるようになり、業者様がさらに別の業者様や、アパートマンション経営をされているオーナー様をご紹介下さるようになりました。

 

こうして、毎年少しずつ顧客の数が増えて行き、十数年経営を続けた結果、ありがたいことに安定して営業をさせて頂けるようになりました。

 

法人化へ

近年では、顧客の皆様が、私どもを信頼してくださり、鍵交換だけではなく、賃貸物件の入退去に関する色々なことをご依頼下さるようになりました。


例えば、入居前のルームクリーニングやエアコン洗浄、アパートのゴミ置き場へドアの設置、駐車場の草刈りや貸家の庭の木の剪定、マンションの駐輪場への門扉の設置、工場の入口への虫よけのカーテンの設置などなど・・・

かなり多岐にわたるようになりました。

 

またそれにともなって、

(僕たちがこれを出来るようになったら、あのお客様が困っているあのことについて、解決できるのになぁ)

などと、顧客の皆様のお役に、もっともっと立てるよう、色々とやりたいことがたくさん出てきました。

 

多岐にわたるようになったお客様のご要望にお応えし、またその先のためにやりたいことが出来るようになるためには、個人商店のままでは限界があると感じ、

またカギの救助隊福岡へかかわって下さるスタッフのみんなにとって、もっとより良い経営をするために、コロナ禍の真っただ中ではありますが、法人化し、株式会社杷奈を設立しました。

 

少し長くなってしまいましたが、ここで個人事業から株式会社設立までの説明を終えたいと思います。

 

まだまだ株式会社として始まったばかり。

不安はたくさんありますが、顧客の皆様、スタッフのみんなにとってより良い会社にするために精進してまいりますので、応援よろしくお願いいたします。

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